About

西原 智昭
(Tomoaki Nishihara)
 
1989年から約30年、コンゴ共和国やガボンなどアフリカ中央部熱帯林地域にて、野生生物の研究調査、国立公園管理、熱帯林・生物多様性保全に従事。
国際保全NGOであるWCS(Wildlife Conservation Society;ニューヨークに本部があり)の自然環境保全研究員。
NPO 法人アフリカ日本協議会・理事。
京都大学理学部人類進化論研究室出身、理学博士。
詳細は http://www.arsvi.com/w/nt10.htm を参照のこと。
 
現在の最大の関心事は、(1) 野生生物・森林生態系および地球環境保全、(2)生物多様性と文化多様性の保全のバランスへ向けた模索、(3)「ヒトの原点の生き証人」「自然環境保全の先駆的担い手」としての先住民族の再価値付け、(4)認証制度に基づいたライフスタイルの見直しへの提言、そして(5)これらに関しての情報提供と教育普及である。
 

コンゴ盆地で30年・自然とヒトの道先案内人
ドクター西原
 

©The Asahi Shimbun

PROFILE

経歴

学歴

1980年(昭和55年)3月 

神奈川県立藤沢西高等学校卒業

1983年(昭和58年)4月

京都大学理学部入学

1989年(平成元年)3月 

京都大学理学部学士試験合格

1989年(平成元年)4月

京都大学大学院理学研究科修士課程(動物学専攻)入学

アフリカ・コンゴ共和国ンドキ熱帯林(のちヌアバレ-ンドキ国立公園となる)にて、野生ニシローランドゴリラの生態学的調査開始

1991年(平成3年)3月

京都大学大学院理学研究科修士課程(動物学専攻)修了

1991年(平成3年)4月

京都大学大学院理学研究科博士後期課程(動物学専攻)進学

1993年(平成5年)4月から1995年(平成7年)3月まで

日本学術振興会特別研究員(DC)

1994年(平成6年)3月

京都大学大学院理学研究科博士課程(動物学専攻)修了

京都大学博士(理学)取得(博士論文題名「コンゴ北部Nouabale -Ndoki国立公園に生息するニシローランドゴリラの生態学的研究」)

1995年(平成7年)4月から1998年(平成10年)3月まで 

日本学術振興会特別研究員(PD);京都大学理学部研修員

研究調査・自然環境保全経歴

1986 - 1989

人類の頭骸骨の形態学的研究(京都大学大理学部動物学教室・自然人類学研究室)
頭骸骨に見られる側頭線(咀嚼に関わる筋肉の頭骸に接する部分にできる線状痕)の発達に関する形態学的研究に着手、現生人類の頭骨とアイヌの頭骨との比較計測、アイヌの方がより強い側頭筋を有していることが推測された。

1986 - 1989

インドネシア国・オランウータンの直接観察調査(自費)
二度にわたり、合計2か月、インドネシア・スマトラ島北部のボホロク熱帯林を訪問、孤児院にて野生復帰へのリハビリを受けている若いオランウータンほか、野生のオランウータンも観察。類人猿個体識別及び各個体の行動記録調査の試行。

1989 - 1992

コンゴ共和国・ンドキ熱帯林[のちヌアバレ-ンドキ国立公園となる]でのゴリラ・ チンパンジーの生態学的研究(京都大学大学院理学研究科)
それまでほとんど知られていなかったアフリカ熱帯林に生息するニシローランドゴリラの食性とその季節変化について、合計約2年にわたる直接観察・フン分析などをもとにした長期野外調査を実施。「ニシローランドゴリラは果実の季節には多くの果実を食するというマウンテンゴリラとは異なる食性はもつものの、基本となる食性は他のゴリラ種と同様、湿性草原における草本を含む草本類である」ことを、1994年の博士論文にて明らかにした。

1991 - 現在

日本・海外のメディア隊のコンゴ共和国 / ガボン共和国での現場コーディネーター
都合10回以上にわたり、NHK、日本の民放ほか、National Geographic、BBCなど世界の著名なメディア局と現地にて仕事をコーディネートする(放送局との主要な仕事はACTIVITYを参照のこと)。

1994 - 1997

コンゴ人研究者への野外研修プログラム・リーダー(京都大学 / WCSコンゴ共和国)
約3年間世界銀行の資金にてWCSと共同で、コンゴ人若手研究者との共同研究プロジェクトを始める。テーマは、ヌアバレ-ンドキ国立公園におけるゴリラ、チンパンジー、ゾウ、昆虫、植物などを包括した熱帯林生態学と、コンゴ人向けの現地調査研修を通じた熱帯林保全。

1997 - 1999

コンゴ共和国・ヌアバレ-ンドキ国立公園保全マネージメント技術顧問アシスタント(WCSコンゴ共和国)
WCSの現地協力員として主に国立公園基地管理にあたり、また当国森林省主導の国立公園内・対密猟者パトロールにも参加。

1999 - 2000

アフリカ熱帯林徒歩横断・生態学的調査プロジェクト“メガトランゼクト”の現場コーディネーターおよび調査アシスタント (WCS / National Geographic Society)
コンゴ共和国北東部からガボン共和国大西洋岸にかけての広範囲における熱帯林の野生生物の生息状況と人間の諸活動による自然環境への負荷に関する基礎調査プロジェクト。調査隊(合計465日間で約3200kmを徒歩踏破)の物資補給や、当地研究者・森林省スタッフの参加のコーディネートのほか、踏破中随時調査隊を出入りし、またある特定の場所にて撮影を行なったアメリカのナショナルジオグラフィック隊のコーディネートおよび調査アシスタントも兼ねた。調査結果は、とりわけこれまでほとんど知られていなかったガボン共和国の自然の豊かさ、生物多様性、環境の特殊性などを明らかにし、この情報をもとに、のち2002年にはガボン共和国には存在していなかった新たな13の国立公園が設立された。

2001 - 2003

日本国内外での自然保護関連の調査と教育普及活動
アメリカ合衆国・ナショナルジオグラフィック本部にて、上記“メガトランゼクト”の資料分析
コンゴ共和国オザラ国立公園周辺部でのゾウの密猟の現地調査
ワシントン条約締約国会議(COP12)にオブザーバー参加
ボリビア・マディディ国立公園におけるWCSエコツーリズム調査に短期参加

2003 - 2007

ガボン共和国・ロアンゴ国立公園保全マネージメント技術顧問(WCSガボン)
エコツーリズム・セクターとの共同事業の初期プロジェクトの立ち上げにも従事。海に入るカバ、砂浜を歩くゾウ、大西洋を遊泳するザトウクジラ、産卵のため上陸するオサガメなど、将来のガボン国のエコツーリズム発展に寄与する対象の調査研究および保護とツーリズムを同時に実施する試み。

2007

ガボン共和国・ロアンゴ国立公園内での石油開発の環境アセスメント・プロジェクト・リーダー(WCSガボン)
国立公園内での石油開発探索の許可を受けた中国の石油会社の活動を対象に、野生生物ほか自然環境への負荷を最小限にするためのガイドラインを監査するチームのリーダーにガボン環境省から任命され、現地にて中国人スタッフと協力しつつ、自然環境アセスメントを実施した。

2008 - 2009

ガボン共和国・イヴィンドウ国立公園保全マネージメント技術顧問(WCS ガボン)
国立公園周辺の伐採業が活発化する中、野生動物の集まる湿地草原ラングエ・バイやアフリカ熱帯林有数の滝であるコングー滝を有するイヴィンドウ国立公園で、いかに対密猟パトロール隊を編成し、複数の伐採会社と協力関係を作り、また野生生物の研究調査を継続していきながら、かつどのようにエコツーリズムを立ち上げていくか、その模索を図る。

2009 - 2018

コンゴ共和国・ヌアバレ-ンドキ国立公園保全マネージメント技術顧問(WCSコンゴ)
かつての当地での経験を生かし、国立公園基地とそのマネージメントの改善、および周辺伐採業の活発化に伴い増加の傾向のある密猟や違法野生生物取引を取り締まるためのパトロール隊の再編成などを、現地森林省スタッフとともに実施。 

2019 - 現在

WCS自然環境保全研究員として、日本での保全に関わる一般向け教育普及活動ほか、大学等での教育、短期アフリカ訪問による保全分野でのコンサルタントなどを実施

語学

英語(上級クラス)
フランス語(上級クラス)
リンガラ語(上級クラス)
インドネシア語(中級クラス)
ドイツ語(初級クラス)
スペイン語(初級クラス)
中国語(初級クラス)

   

PAST&NOW

過去と現在

人類学を目指すまでのこと・人類学とは直接関係のないこと

学科

最終的には、京都大学理学部という理系に進学をしたものの、高校までの科目の中で最も不得意であったのは理科であった。とくに生物と化学は苦手であった。得意な科目は、社会と英語で、高校になり苦手の理科の中でも、自然界の運動の規則性を示す物理に興味を示す。地学は宇宙や地球の成り立ち・歴史などの観点で興味は持っていた。浪人したのち京都大学理学部に入学できたのは、当時の二次試験科目が理科一科目であったこと(不得意でない物理を選択)、ほか国語の中で得意な古典を選択できたこと、得意の語学で多少点を稼げたこと。

小中高時代の関心事

野球・ソフトボール、将棋のほかは、昆虫採集、天体観測、飛行機好き、など。家業を継ぐ意思はなく、高校時代以降は天文学に惹かれ、将来は、当時騒がれ始めたスペースシャトル時代の開闢に刺激されてか、スペースパイオニアに関する職に就きたいと考える。宇宙に出ればこそ地球や人間を客観的に見ることができるはずだと純粋に考えていた。

野球・ソフトボール

少年の時代から自分でプレーするスポーツといえば野球かソフトボール。野球観戦は飽きることがなく、日本のプロ野球界では、少年のころから揺るぐことなく読売巨人軍のファン。『巨人の星』とV9時代の巨人を見ながら育つ。京都大学では体育会ソフトボール部に入部、投手兼主務を務める。選手引退後の大学院時代、アフリカと日本を行き来する中、都合7年同部の監督を引き受ける。チームを活性化するために経験の有無・学年の上下にかかわらず粋のいい選手を使い、また適材適所で選手を起用していく方針のもと、練習に厳しい「鬼監督」として、勝利を目指したチームの再生に尽力した。一球一球の「間」、幾通りもの戦術の中で一球ごとの「瞬時の判断」、集団スポーツでありながら守備位置や打順など個々人の適性が大きな比重を示すスポーツである点など、魅力に尽きない。今でも京都大学体育会ソフトボール部OB戦では投手を務める。

将棋

決して強いとは言えない。また将棋を指す機会も極端に減った。しかし、異なる駒をいかに適確に随時動かし、また相手から奪った駒をも駆使し、何手先までをも読んでいきながら、千差万別の戦略のなかで勝利を目指していくゲームの特性に今なお惹かれる。

語学習得

高校までに学んだ英語のほかは、大学では第二外国語としてドイツ語を専攻、さらにアフリカ熱帯林での仕事にかかわるようになり当国公用語のフランス語やリンガラ語も現場での会話・利用を通じて習得。所用で訪れた場所や相手の必要に応じて、インドネシア語、スペイン語、中国語も自前で勉強する。一般に、語学を習得していこうとする努力は難に感じない。

料理

料理は面倒だと思うことはなく、材料さえあるのなら、インドネシア料理など様々な料理に通じている。京都大学の研究室での30人前後のパーティーをコーディネートしその人数分の料理を作った経験もあり。皿洗いなど炊事全般も苦ではない。必要に応じて、洗濯・掃除も無難にこなす。料理の極意は目の前の材料をもとに経験と想像と勘で料理に挑むこと。そこにはレシピも不要である。

人類学との出会いとそれ以降のこと

人類学との出会い

大学受験の浪人期間中、ある予備校の講師から世の中には多種多様な学問が存在することを学んだ一方、これからの学問の一つとして大事なのは人類学と教わる。偶然にも人類学に関する本を手にする機会もあった。人類そのものを対象とした人類学という分野の発見で、目からうろこが落ちる。天文学を目指していた頃であったが、宇宙から人類を眺めるのではなく、結局宇宙を認識するのもこのわれわれ人類があってこそ、とも考えるようになり、天文学だけではなく人類学をも学べる大学ー京都大学理学部ーを強く目指すようになる。

人類学としてのアフリカ熱帯林での現場

大学入学後は、人類学に強く興味が移行、大学4年生以降人類学研究室に出入りするようになる。「人類とは何なのか」ー人類の起源と進化ーを研究テーマとする。卒業研究では人類の形態学的研究に着手するが、大学院では人類にもっとも近いアフリカ野生類人猿研究の調査隊の一員として、野外現場での研究調査を始める。その最初のフィールドがコンゴ共和国「ンドキの熱帯林」(のち国立公園、そして世界自然遺産地域となる)であった。まったく未経験であったにもかかわらず長期の野外調査に心身ともに符合、博士過程を終了したのちも、大学の教官ポストでの就職をせず、現地にて調査研究を継続した。

純粋な研究者から熱帯林・野生生物保全を担う仕事へ

コンゴ共和国当地にてWCSチームと出会い、日本での就職の道に完全に見切りをつけ、現地採用のままWCSのもと、アフリカ熱帯林での国立公園管理など自然環境保全マネージメントを現地で継続していくこととなった。その後、隣国ガボンでも同様の仕事を経験した後、再びコンゴ共和国に戻った。

アフリカでのいくつか特異な経験と知見

ゾウの鼻にまかれたこと(1996年)

コンゴ共和国・ヌアバレ-ンドキ国立公園内でかつてゾウの密猟が頻繁であった地域を歩いていたとき、突如神経質風のオズゾウに襲われる。鼻にからだを巻かれ、数度地面にたたかれるが、幸いゾウが最終的には静かにからだを地上に降ろしてくれたために、大きなけがもなく助かる。

内戦に出くわしたこと(1997年)

コンゴ共和国の内戦に、首都ブラザビルにて巻き込まれる。銃撃戦の中、最終的にフランス軍用機にて隣国ガボン共和国へ脱出。その後、現地ヌアバレ・ンドキ国立公園に残してきたコンゴ人学生に危急事態を知らせるためにカメルーン経由でンドキの現地へ戻り、内戦中であるにもかかわらず、WCSの任務を受け、国立公園マネージメント基地の維持に尽力する。

セスナで墜落事故寸前であったこと(1999年)

コンゴ共和国・ヌアバレ・ンドキ国立公園から、隣国ガボン共和国の首都リーブルビルへ向けて、当時の上司であるWCSのアメリカ人マイク・フェイの操縦のもとセスナにて出発した折、リーブルビル100km地点で、予期もせず突如燃料切れとなる。不幸中の幸い、熱帯林の合間に、かつての古い飛行場を発見、そこへ不時着、大きな事故もけがもなく生還。

長期熱帯林滞在が困難でないこと(1989年から現在に至るまで)

アフリカ熱帯林に関わって約30年の月日が経つが、これまで一度も熱帯病などの大きな病気なし。食生活や言葉にも困ることがなく、暑さや虫刺されにも悩まされず。現地の人々とも、「チーム・スピリット」の方針のもと、良好な関係を保ちつつ、任務を遂行している。赤道ほぼ直下ではあるが、森林地帯は平均気温25度程度で、通常は冷房も扇風機もいらない快適な地である。

後継者の育成に関する知見

これまで何人ものコンゴ人やガボン人の若手研究者や若手国立公園管理者などと一緒に仕事をし、日常的な関わりなどを通じて何人かを育成してきた。日本人の後継者を作ることも一時期考えたが、それよりも当地国の野生生物保全には当地国の人材こそが必要不可欠であるため、こちら当地国の人材を育成するほうがはるかに優先事項だとの考えのもと、いまもそれを継続中である。ぼくが日本人の後継者育成に力を入れないことにした理由は次の通りである。日本人を含む外国人が、研究・保全・支援などいかなる理由であれ、コンゴ共和国などの途上国に来る前には、なぜそうしなければならないのか、各氏熟慮しなければいけないことである。自分の学問やキャリアという業績のためか、あるいは他者のためか。これまでの経験では、「他者のため」と称するとき、実質的には現地を真摯に顧みない「自己満足」か「トップダウン方式の方途」というケースが多く見られている。